海のまにまに

社会人三年目看護師の青海波の備忘録。転職3回、辞めたい、やる気ない看護師のための生存戦略について書きます。ついったー→@M3TrEpFEYj8F0ac

休職中の手慰み ~推しのグッズを手放したヲタクの話〜

「ありがとう トゥインクルスター」

 

 

 今年の三月に意気揚々と買った、私の狭い部屋の白壁の十分の一は占めていた、華やかなピンク色の推しのタペストリーを、外した。理由は、査定にかけて、適正価格で手放す為である。
 この一年近く、常に彼女は真近で私のおはようとおやすみを眺めていた訳だが、恐らく、時間が経つにつれて、どんどん塞ぎ込んで暗くなって自暴自棄になっていく私を見て、きっと心を痛めていたであろう。私の思い描く推しであれば、そういう反応を見せてくれるに違いない。だって、原作の中でも、彼女は誰のどんな主張も否定はしなかったのだから。

 私は社会人である。四月から部署異動をして、親子以上に年の離れたベテランの職員にいびられて精神を病み、先月から休職を開始した。そのことについて散々上司に相談し、ついには前の部署に戻して欲しいと要請しても、「他の人の都合もあるし、あなただけに優しい人で固める訳にもいかない。こんな理不尽はこれからもたくさんあるし、どうか乗り越えて欲しい」と言われるだけ。ちなみに、ベテラン職員は『上司からの厳重注意』のみで、その他には何のペナルティもないようだ。
 どうやら、私の居る業界だけでなく、世間一般全体的に、こんなことは「よくあること」らしい。

 タペストリーの推しにハマったのは、一年前。
 そのアニメのストーリーも推しの性格も行動も、私は大好きだった。おとぎ話のようなファンタジーな宇宙を飛び回り、その星々に暮らす住民達と交流をし、宇宙を侵略せんとする悪の組織と対峙する。しかし、物語の後半、その悪の組織にも色々と事情があったことが見えてきて――。
 とまぁ、よくある話といえば、よくある話である。なまじ子ども向けであるので、全体のテーマとしては、「相手の気持ちを想像したり、話し合いを重ねたりして、相手と自分を知り、お互いを尊重しながら生きていこう」みたいな感じだと、私は受け取った。いや、もっと深く語ろうと思えばこんな言葉では足りないし、これ以外に大切なメッセージもたくさん含まれている物語だけど、概ねそんな感じの、希望に満ち足りたお話である。
 当時、私はグッズを出来る限り買い漁った。それでもガチ勢の皆様に比べたら可愛らしいものだが、キャラクターショップに足繁く通い、食玩フィギュアを全種類揃え、主題歌やキャラソンのCDもBluRayも、大人向けのお高めなグッズも馬鹿みたいに皆買い揃えた。もちろん、ライブも当選すれば行った。
 ヲタクとしては、どれも当然の行動なのだ。ヲタクは推しのグッズ集めに余念が無い。もちろんそちらには食指が動かないタイプのヲタクもいるが、だいたいは推しのグッズを欲しがるものだし買いたがるものである。私も当然そんなヲタクの一人だった。

 その頃は、仕事は上手く行っていた。自分の仕事は大嫌いだったし飯の種ぐらいにしか思っていなかったが、周りの人達に恵まれ、法外に早い出勤時間や、残業が二~三時間過ぎるまで仕事が物理的に終わらない場合があることを除けば、良い職場だった。
 金回りも良かった。片っ端からグッズを買い集めても、まだまだ全然余裕があった。元々私はお洒落とか身嗜みとか、自分にお金をかけるタイプではない。はっきり言えば、ハナから結婚願望のないクソ喪女である。だからこそ、狂ったように推しに全てを賭けた。

 彼女のことは今も好きだ。多分、これからもずっと好きだ。死んだ後も好きだと思う。最初の放送で、宇宙を軽快に跳ね回っていたシーンを見てから、ずっと。
 だけど、完全にメンタルを潰された今、スン……、と火が消えたように、あの、部屋の白い壁に飾った華やかなピンク色を見るのが、辛くなってきてしまった。

 今の仕事を休職するのは、実はこれが最初というわけではない。新卒三ヶ月頃に一回休職して転職、それから社会人二年目の夏に休職して転職――、そして、今回の休職、というわけである。
 忙し過ぎる職場環境。当たりのキツい上司や利用者。自分の技量不足。変わらない給料。その癖膨張し続ける責任の重さ。学び続け、技術を高め続けることのしんどさ。当然のように強要され続ける自己犠牲。
 歳を重ねるにつれて強まる、『この仕事が嫌い』、『こんな仕事しか出来ない自分が恥ずかしい、情けない』という劣等感。
 とは言いつつ、それだけが原因ではないのだろう。学生時代に意識の高い教員から詰られたトラウマも未だに残っている。私が弱いだけだ。私が社会に向いていないだけだ。多分、他の業界に行ったとしてもそれは変わらない。
 一回壊れたメンタルは、それ以上は強くならないしなれない。ぐちゃぐちゃになった紙を広げても、元の綺麗な白紙に戻らないのと同じだ。
 どこの業界にも、どんな仕事にも、誰の人生にも、それぞれ違った地獄がある。
 自分だけではない。
 他の人は乗り越えられたことだ。
 あの子も、最後は宙を跳ねることが出来なくなっていた。だけど、自分の力で、十五年懸けて、ひとつの夢を叶えた。そんな華々しい物語の裏で、彼女も様々な地獄を見て、それに耐え、乗り越えて来たに違いない。
 だけど、私は違う。私は、この弱さを克服出来る自信はない。今回のことを乗り越える自信はない。それどころか、歳を経るごとに、どんどん弱く脆くなっていくのを感じる。
 こうして生き続けなければならないのは、とんでもない苦行だ。いつかは自分で死んでしまうかもしれない。
 それでも私が今死なないのは、実家住まいであり、同居出来る程度に家族と仲が良いからだ。これは紛れもなく僥倖なことで、世の中には戻れる家も場所も人も無く、一人で全てをどうにかして生きていかないといけない地獄もある。
 もしかしたら、私も『休職』などと口にした瞬間に、家から叩き出されていた地獄もあったかもしれない。そう考えると、私の地獄はまだ生温い方なのだろう。

 彼女が夢を叶えて宇宙に旅立ったのは三十歳。私も、四捨五入すればとっくにその年齢に達するところまで歳を重ねてしまった。
 私は宇宙には行けない。才能もないし、不断の努力も出来ないし、確固たる意志も持ち合わせてはいない。
 宙を飛べないのならば、地上で生きていく術を探すしかない。蛹にもなれずに這いずり回る芋虫のように。無様でも悲惨でも何でも、なんとか私は私なりにこの地獄で生き続けられる方法を探さなければならない。

 大切に大切に、袋に詰めて、緩衝材を幾重にも巻いた。箱には丸めた新聞紙をありったけ敷き詰めて捩じ込んで、ガムテープを厳重に貼り、狂ったように『割れ物注意!』と書いた。何も、売るのはタペストリーだけではない。
 熱に浮かされて、片っ端からグッズを集めた一年前のことが、今となっては夢のようだ。
 だが、私はそれらを全て持ち続けていられる程の人間ではなかった。多分、ただ単に、『ヲタク』という属性を言い訳にして、ひと時の、衝動的な、部屋いっぱいの所有欲と支配欲を満たしたかっただけだった。
 
 彼女が居なくなった部屋は、華やかなピンク色から地味な白に変わった。寂しさと共に、本来の自分が戻ってきたような、肩の荷が降りたような安堵を感じる。

 私にとって、星は見上げるだけで良かったようだ。

休職中の手慰み ~相変わらず~

「相変わらず」

 


 相変わらず、休職の日々は続いていく。
 世間の皆様が毎日朝早くから夜遅くまで働いている時間に、私はパソコン教室に行ったり家で本を読んだりしている。そのことに対しては、幸福だと思うし穏やかな時間がこのまま続けばいいとすら思っている。
 だが、事はそうはいかない。果たして、私は平穏無事(法外な早朝出勤や時間外の残業が頻繁にあったことはこの際考えない)に約二年間を過ごせた前の部署に帰れるのか、それとも、私を休職にまで追いやった大半の元凶であるクソお局がいる元の部署に戻らないといけないのか。
 元から看護師は辞めたいと思っていた。これを機に、看護師を辞めるのもいいかもしれない。幸い貯金もある。私の担当のファイナンシャルプランナーの方にお聞きすれば、三年はパートやアルバイトで食い繋げる額だということだ。
 しかし、パソコン教室に通い出し、世間様の様子を高みの見物をさせて頂いて気が付いた。……、これは、時期が悪過ぎる。
 何せ、Wordの入門講座ですら、出来ていない部分がある。このレベルでほぼ勤怠入力しか触れる機会のなかったExcelに触れるなぞ、どのような地獄絵図だろう。気軽に「事務職に転職したい」などと言っていた過去の自分が呪わしい。全国の事務職の皆様、お疲れ様です。
 夢の為に動くにしても、その為にパートやアルバイトに切り替えるにしても、それですら就職先が決まる保証はないし、「何かあったら」と思うと、一歩踏み出す勇気はない。
 万事休す。結局、今の私にとって一番いい方法は、なんとか前の部署に戻る道を勝ち取ることであろう。それならば、人間関係に悩まされることなく、淡々と業務をこなし、おまけに給料も増えた上で、パソコンの勉強なりシナリオの勉強なりを進めることが出来る。
 一応実家住まいは可能である。それだけは死守しなければなるまい。新卒の頃は一人暮らしをしていたが、メンタルを病み、それまで満ち足りた喪女であったにも関わらず、結婚して安定した社会的地位と生活を得る為だけに、男を漁り出した程だった。幸い、今の家族との暮らしでは、そこまでの不安定さはない。

 しかし、今朝はやけに母親の機嫌が悪かった。それもそうだろう。ただでさえ、受験生の妹に気を遣って、ずっと家に引きこもっているのだ。元気の有り余る、魔の三歳児と変わらない、やかましい黒犬と共に。
 私の休職という時点で機嫌の良くなる要素など皆無なのだが、かつて、Twitter上で、さる著名なアカウントの方が、引きこもりの四十代だかの息子が政府の高官であった父親を殺した事件の際、「引きこもりはその生活の安寧の為に家族との関係に細心の注意を払わないといけない」と仰っていた。まさにその通りである。一日中家にいる母親の機嫌次第で、家の雰囲気が如何様にも変わってしまう。これは、薄氷の上に成り立つ私の休職ライフにも、大いに影響する。
 一応、パソコン教室の帰りに、リンツのチョコレートを買ってみた。反応が楽しみである

休職中の手慰み ~推しの本がない~

「推しの本がない」

《注意!》

 ここはヲタク垢ではないのは百も承知なのだが、自分と同じような境遇でないヲタクに強烈な拒絶反応を示してしまった面倒臭いヲタク、否、化物に成り果ててしまった為、このような話題をここで書くことを赦して欲しい。
 ガッツリネタバレもする。コンテンツ名も、キャラの名前も当然出す。
 それを踏まえて、読むか読まないかを、今ここで決めて頂きたい。
 著作権的な問題とか、そういうのがあったら消す。すぐ消す。その時はTwitterにリプでもDMでも言ってくださいお願いします。

 

 

 

 

 

 推しの作品が!地元の本屋に売っていないのである!どこを探しても!全く!

 私の推しは色々居て、Twitterのアイコンの白い人もその一人なのだが、今ハマっているのは『文豪とアルケミスト』の徳田秋声である。
 元々ゲームのリリース直後からプレイしてはいたものの、すぐに飽きて放置してしまっていたのだが、今年のアニメで再燃。職場でのストレスも拍車をかけ、ちょうど不登校の子が逃げ込むように、どんどんこの図書館にハマっていった。
 ゲームの中での徳田秋声の位置付けは、本の世界を侵してくる侵食者に対して最初から一緒に戦ってくれる、いわゆる『チュートリアルキャラ』である。
 彼以外にも、プレイヤーが最初に任意で一人選べる文豪、いわゆる『初期文豪』が四人程いるのだが、彼だけは、最初から、プレイヤーと一緒に戦ってくれるのである。
 常識人で苦労人。他の文豪達に比べて地味なことを気にしており、それ故にひねくれたところがあるものの、基本的に世話焼きで気配り上手。
 当時、クソお局からの攻撃に日々やつれていっていた私が、ハマらない訳がなかった。
 特に散策で、エントランスにいる時に話しかけると発生するあの台詞ーー「おかえり。お菓子が残っているから、食べてくれば?」的なアレーー、に、やられてしまった。
 完璧にオカン……、否、それは言い過ぎかもしれないが、お兄ちゃん……、こちらの挙動に呆れながらも何かと気にかけてくれるお兄ちゃん……。
 最高ではないか。最高ではないか。妹になりたい。娘になりたい。養って欲しい。世話をして欲しい。今すぐ幼女に戻りたい。おぎゃあ。

 思わずしてしまった退行現象は置いておいて。

 そこまで落ちてしまったキャラであれば、もちろん、元ネタであるご本人様の作品も、是非とも読みたいと思ってしまう訳である。というかそれがファンとしてヲタクとして当然の嗜みである。少なくとも私はそう信じている。

 徳田秋声の作品として、まず「あらくれ」を読みたいと思った。Wikipediaで漁り、あらすじを読んだ時、主人公の生き方、その結果と成り行きに興味を持った。周囲から勧められる生き方に反対して、自分で人生を決めていく女性。しかし、それに反して、彼女はどんどん身を持ち崩し、沈んでいく(らしい。読んでないからわからないけれど)。
 あぁ、いいなーー、と思った。三度目の休職中で、ズタボロな女には優しそうな話だと思った。
 過酷で、華やかじゃなくて、ハッピーエンドではないかもしれない。だけど、それでもいいと肯定してくれるような、そんな物語だったらいいなと思った。そういう話を、そういう女性を、きちんと見つめて、書いて、作品にしてくれているのがありがたかった。……、実際に読まなければ、もちろんわからないけれど。

 徳田秋声は、金沢三大文豪である。川端康成からも絶賛されている。
 だから、本屋さんに行って、名作文学コーナーを見れば、すぐに見つかると思った。

 そして、あの嘆きに戻る。

 どこ探してもない!どこ探してもないのだ!徳田秋声が!徳田秋声の作品が!
 地元の本屋も!地元からちょっと離れた、蔵書数の多い都会のでっかい本屋にも!
 ない!ナイ!NAI!Nothing!
 徳田秋声の本が!!!!ない!!!!!!

 元高校の国語教師だった母親には馬鹿にされた。「私だって徳田秋声なんて読んだことなかったもの。中島敦は授業でやったし、泉鏡花は好きで読んでたけど。室生犀星も有名だけど。徳田秋声はねぇ……徳田秋声はねぇ……地味だから」うるさい。

 ここまでないとは思わなかった。地元の、改装された綺麗な図書館ですら、一冊しか置いてなかった。しかも、「あらくれ」でも「黴」でもない。他の文豪も一緒にされた、シリーズ本のうちの一冊である。
 田山花袋はある。国木田独歩はある。島崎藤村は言わずもがな。徳富蘆花と一瞬見間違えた。
 徳田秋声が、徳田秋声だけが、ない。

 悔しいので、普通にAmazonで「あらくれ」を頼んで購入した。古本は嫌だった。だって、推しの本だもん。推しの本なんだもん。
 めちゃくちゃ楽しみである。めちゃくちゃ楽しみである。
 目頭が熱く、口の中がしょっぱくなってきたが、きっとそれは、気のせいだ。

休職中の手慰み 将来のこと

「白髪」

 

 白髪が、見つかった。
 恐らく、私の人生で、最初の白髪である。
 黒々とした髪の中で、どの角度から見ても黒に惑わされない白が一筋、どんな脅威にも憚ることなくそこに陣取っている。

 真っ先に思い出したのは、かの有名な、『太宰治』の『人間失格』。
 主人公は凄絶な物語の末に、齢二十七にして四十前後に見間違えられてしまう程白髪が多くなり、老け込んでしまう。……、ちょうど、今の私と同じくらいの年頃である。
 なるほど、彼程ではないが、今の私も充分『人間失格』だ。何しろ、新卒から仕事が一年続かず、やっと辿り着いて、様々な人に守られ導かれながらようやっと二年続いたこの職場でさえ、たかが部署移動をしたたために半年で精神を病んで、今また休職してしまっているのだから。
 ここに来るまで、心身ともに随分草臥れてしまった。もしかしたら、この後の私の人生も、『人間失格』の主人公のように、田舎の廃屋でお手伝いの婆やと療養するような、余生じみたものになるのかもしれない、という恐怖もある。
 看護師なのだから、保健師なのだから、転職先はいくらでもあるだろう……、と言われることも多いが、果たして自分を今の状態まで追い込んだこの職業を、これから先もずっと続けて行けるのだろうか。そもそも、学生時代から、心療内科や精神科のお世話にこそならなかったものの、今でも当時の看護教員の指導がトラウマとなっており、それを多かれ少なかれ引き摺りながらずっと仕事をしてきた。これ以上の精神力や気力は、もう既に私の中には残っていない。
 かといって、看護師や保健師以外の仕事はどうか。今時事務職に就くにしても、パソコンでのスキルやビジネスマナー、一般常識は必須なのだが、悲しいかな、看護師や保健師に、そのようなものは元々備わっていない。何故なら、学校では一般社会での作法など習わないからだ。
 おまけに、このコロナ禍である。新卒の子達ですら、内定が取り消されている状況。
 はっきり言おう。詰んだ。詰んでいる。

 

 私には夢がある。将来は、小説家やシナリオライターなど、とにかく物語で人を魅了し、希望を与え、活躍出来る仕事に就きたかった。だが、そのような職業で食べて行ける人は一握りだ。そこで、食いっぱぐれないように、看護師と保健師の資格を取った。
 しかし、最近は、「もしかしたら、その夢を叶えるのは無理なのではないか?」と思ってきてしまっている。
 コロナ禍だから、とか、経験がないから、とか、物理的なことだけではない。
 希望が持てないのだ。人間に対して。自分に対して。

 今の小説やアニメ、漫画の流行としては、自分が最強であることに無自覚な主人公が、無自覚なままに色々なことを成し遂げ、仲間達からも好かれ、敵を懲らしめ、大団円で終わる傾向が多い(独断と偏見ではあるが)。
 それでなくても、主人公と仲間達が苦難を乗り越え、最後はハッピーエンドで終わる話が大多数に好まれるのがこの世の常、というものだ(あくまで個人の独断と偏見)。
 もちろん、私もそんな物語が好きだった。読むのも、書くのも、大好きだった。
 しかし、最近は、そんな物語が書けなくなってきた。想像出来なくなってきた。信じられなくなってきた。
 学生時代は、教師からのアカハラがあったものの、まだ自分の好きな物語が書けていた。
 だが、様々な辛苦を味わってきてしまったお陰で、今まで大好きだった物語が急に色褪せ、陳腐化して、「そんな都合のいいことが起こるわけないだろう」と冷笑する気持ちすら湧いてきてしまった。
 もちろん、現実とフィクションの違いくらいはとっくのとうに付いている。この世界は魔法ではなく科学の世界だし、超能力者や宇宙人、未来人、はたまた魔法少女が一般人に混ざって生活していることなど有り得ないし、仮に今ここで死んだとしても、別の世界で勇者や悪役令嬢に転生出来るかどうかは、神のみぞ知る、というところだ。
 それでも、フィクションの世界に宿る、人間の善性とか、主人公の熱い想いとか、仲間と共に同じ方向を目指して懸命に力を尽くして手繰り寄せたハッピーエンドなんかは、この世に存在したら面白いだろうと思っていたし、ちょっとくらいは有り得て欲しいと願っていた。
 何も持っていなくても、真面目でひたむきに、誠実に生きていれば、多少不器用で要領が悪くても、そう悪いことにはならない。基本的に、人に悪いことをしなければ、人から悪いことを返されることはない。善いことをすれば、善いことが返ってくる。ーー、少なくとも、私が今まで読んできた物語は、そんな風に希望を持たせてくれた(もちろん、そうではない物語もあるけれど)。
 しかし、現実は、このザマである。
 自慢にもならないが、私は学生時代までは、世間からのレールにもなんとか外れず、そこそこ真面目に生きてきていた。勉強も親を心配させるような成績は取ったことがないし、友人関係も手広くはなかったが、上手く楽しくやっていたつもりだ(もちろん、友人達も同じ気持ちでいてくれたのかどうかは知らないが)。
 それが今や、休職を繰り返し、家族の厄介になっているのだから、希望などあったものではない。

 ただでさえ、不安定で暗いこのご時世、希望のない物語など求められていないことは、痛い程わかっている。誰だって少しでも明るい気持ちになりたい。娯楽が欲しい。辛いことが多いけれど、なんとか前向きな気持ちで生きていきたい。……、そう考えて物語を読むはずだ。
 だけど、今の私は、人々に対して、明るく希望をもたらす物語など、書けそうにない。
 私の痛みをわかって欲しい。私の声を聞いて欲しい。どうか、黙殺しないで欲しい。
 私は、私をここまで追い込んだ全てが憎い。学生時代から、今時古い奉仕精神と自己犠牲を強要してくる看護師業界。「患者さんの為に」と錦の御旗を掲げ、平気で新人を追い込む意識の高い看護師達。それに漬け込んで、平気で罵声を浴びせ、暴力を振るい、奴隷のように看護師を扱う患者達。あるいは、それらのことをしても、謝罪だけしておけば大事にはならないとタカを括っている患者の家族達。意識もないのにただ栄養材だけで生かされている高齢患者達。認知症で人間の常識が通用しなくなってしまった患者達。人手の少ない現場。それを諦め、許容する風潮。
 口では「医療従事者達に感謝を」とのたまいながらも、「あんなに汚くて大変な仕事、私達には絶対に出来ない」と顔を背け、自分達には無関係の話だと足早に離れていく、無資格の一般人達。
 何も、これはコロナが流行り出したからこうなった訳ではない。全て、コロナが流行る前からの、よくある光景である。

 

 私は、この感情を、綺麗に消化して解体し、他の人々にも受け入れられやすい物語にして練り上げ、昇華する術を、未だに持っていない。
 せいぜい、今は、黒々とした若い力を使い切ってしまった一本の白髪に、こうして想いを寄せるまでである。

休職中の手慰み

「休職中」

 

 平日の真昼間。
 用事の前に、時間がかなり空いてしまった。
 バスの時間をもう一本遅らせても全然間に合ったのに、これは完全なる失態である。この時間さえあれば、家を掃除してから出ることだって出来た。
 現在休職している自分は、家庭内での立場が低いことは重々承知している。家族は気遣って今まで通り接してはくれているが、母親などは「今までこんなに時間が空いたことはなかったのだから」と、積極的に部屋の片付けを勧めてきたり、何か新しいことを始めてみたりしてはと勧めてきたり、とにかく私に何かをさせることに余念が無い。
 それはそうだろう。この、心の傷を癒すには短く、さりとてそれだけで過ごすには長過ぎる時間を、本当の本当にただ何もせずに過ごすだけでは、どうにもならない問題を更に鬱々と考えてしまい、ますます落ち込むだけなのは、自分でも目に見えている。
 今日もその一環で、とにかく看護師以外のことをしてみてはどうかと、母親に勧められ、自分でも以前からやらなければならぬと考えて、とりあえず体験入学だけでも……、と、パソコン教室の扉を叩くことにしたのである。
 そう息巻いて家を出て、バスを乗り継いで駅まで辿り着いたのは良かったのだが……、と、ここで冒頭の問題に戻る。
 時間が、空き過ぎた。空き過ぎてしまっている。一時間近く空いている。
 午前中の早い時間だ。まだどこの商業施設も空いていない。せめてものウィンドウショッピングで目を楽しませる訳にもいかず、開店前の店の入口でうだうだとその時を待ち構えている訳にもいかず――、何故ならガラの悪そうなお兄さんやお姉さん達が既に屯していたからである――、結局、どうせなら日頃仕事で見向きもしなかった、再開発の進む我が最寄り駅周辺を、ぶらぶらと見て回ってやろうと思い付いたのである。
 駅から離れ、歩いて行くと、様々な人達とすれ違う。スーツ姿の男性やらオフィスカジュアルな女性やら……、朝のこの時間帯だ。ちょうど会社に向かう人達も、当然ながら多い。
 私はそれを半ば他人事のように眺めていた。もしかしたら、死んで、四十九日現世をさ迷っている幽霊なんかは、こんな気持ちになるのだろうか。こんなやるせない想いを四十九日も持て余して現世をさ迷うぐらいなら、さっさと成仏してしまいたい。ともかく、皆私などお構い無しに流れて行き、私はあてどもなくふらふらと、ただ時間潰しの為だけに足の向くままに漂っていく。
 私も、つい十日前ぐらいは、この人波の中に混ざって、職場に行って、働いていたのだ。その時は、もう辞めたい、辞めてやる、働くのはたくさんだ、一回仕事から離れたい、休みたい――、などと、呪いのように思い詰めていたが、いざその身分になると、かえってそこで踏みとどまれなかった情けなさと、今の身分のどうしようもなさに、訳もなく立ち止まって蹲って耳を塞いで大声で叫びたくなってしまう。
 私だって、望んでこうなった訳では無い。私だって、皆と同じように、仕事をして、お金を貰って、人生のひととき、きちんと世間様に敷かれたまともなレールの上に乗れている安心感を得たい。何よりお金が欲しい。これは大事なことなので二回言う。
 どうして私ばかりこんな目に遭っているのだろう。犯罪を犯したわけではない。小学生の頃に家出を繰り返したことはある。だが、それはクラスで虐めに遭っていたからで、私にも非はあったのかもしれないが、とにかく割合としては九対一ぐらいで暴力を振るってきた向こうの方が圧倒的に悪い。
 今までの職場もそうである。確かに私も悪かったのかもしれない。鈍臭くて要領悪くて優柔不断で不器用で打たれ弱くて――、でも、そのレベルは、ここまで生きていくことに難儀する程だっただろうか。
 それに、そう何年も何年も積み重ねてきた仕事ではない。どれも半年や一年足らず、最短では三ヶ月の職場だった。新卒からその調子である。
 今の職場は二年続いている。この経歴からしてみればかなり頑張って続けているように見えるが、自分としてはその実感はない。なぜなら、温かく優しくサポートしてくれる先輩方に出会えたからだ。朝出勤したら普通に挨拶をしてくれて、普通に話をしてくれた。どんなに些細でつまらないことを質問しても、世間話のついでのように気楽に教えてくれた。私がどんなことをやらかしても、ダメなところは冷静に指摘してくれて、それ以上そのことを引き摺って嫌味を言われることはなかった。だからこそ、新卒の頃から他の職場の人間に怯えながら働いてきた私でも、のびのびと明るく働くことが出来ていたのである。
 しかし、今年の四月、そんな春のような部署から、突然異動になってしまったのだ。
 鈍臭くて要領悪くて優柔不断で不器用で打たれ弱い私だったが、この二年で、優しい先輩方に恵まれて、少しは成長出来ていたつもりだった。実際に、「あの部署は、今のメンバーだったら大丈夫」と優しい先輩方の一人から太鼓判を押されたから、私はすっかり安心していた。
 その結果が、このザマである。
 異動して半年で休職。原因は一人のベテランである。過去にも他の職員をいびり倒して辞めさせた経歴のある人物だ。
 いったい、こんなことを何度繰り返せばいいのだろう。
 せっかく仕事だって毎日順調に繰り返し、積み重ねていたのに、たった一人、自分に辛く厳しく理不尽に当たってくる人間がいるだけで、精神的にここまで追い詰められてしまう。
 新卒の職場も、その次の職場も、その次の職場もそうだった。いつもいつも誰かしら私に対して辛く当たってくる人が居て、そのせいでメンタルが潰されてしまう。他の人は「あなたは頑張っている」「あなたばかり辛く当たられていて、見ていて可哀想になる」と声を掛けてくれる人もいるので、私が常軌を逸する程の鈍臭さと要領の悪さと優柔不断さと不器用さと打たれ弱さを発露している訳ではないのだろう。ないと信じたい。そうだとしたら、そもそもあの二年間でとっくのとうにクビになっている。
 それでも、毎回毎回一定の周期でやってくるこれは、何なのだろうか。
 私は、『看護師』という自分の仕事に誇りなど持っていない。いくら国家資格と言えど、人が忌避することを扱う仕事だ。その癖、仕事内容の割に給料は高くはないし、高尚な精神性ばかり求められる。私にとって、この仕事は、ただの生活の糧でしかない。
 しかし、だからこそ、いつもいつも、この仕事を尊んでいる意識の高い同業者に目を付けられてしまうのではないだろうか。
 彼女達は私の心中を鋭く見抜き、仕事に対する意識が自分と同じ高い水準でないと許すことが出来ず、私のそれを無理矢理引き上げようと、四苦八苦しているのではないか。
 彼女達をそうさせてしまっているのは私のその意識であり、私のその思考回路故の行動及び言動であり、結局は、全て私が悪いのではないだろうか。
 ……、世の中の人達は、果たして、自分の仕事にそこまでの高い意識を持って、生活しているのだろうか。
 私が今眺めている往来の人々は――、しっかりとしたスーツを着て、髪を綺麗に結い上げて、早足で歩き去っていく――、そこまでの高い意識を持って、皆生活しているのだろうか。
 皆、仕事に向かう凛とした表情の下で、そこまでのことを考えて、日々生活をしているのだろうか。
 そう考えると、私はこの世の中、この先とても生きていける気がしない。

 パソコン教室の無料体験教室が終わった。
 その場で申し込むかどうか迷って、結局、「詳しいスケジュールをまた確認する」と言って保留にしてしまった。どうせ、休職中で、予定などないのに。
 これから先、どうなるかわからない、という不安が常にある。
 職場には、既に前の部署に異動することを希望してある。しかし、上司が言うには、「あなたを異動させる為には、今いる人達の誰かを異動させないといけないから難しい」とのことだ。このような形でお世話になった先輩方にご迷惑をおかけしてしまうのは、本当に本当に申し訳ない。
 それを聞いた母親は、「何であんたを虐めた方には何のペナルティも無いんだ!もし何も動きがないのなら、そんなところは先がないから辞めていいからね!」と烈火の如く怒っていた。
 心療内科の次の受診は、凡そ二週間後である。その時まで、私を取り巻く環境が動くのか。動かないとすれば、どうすればいいのか。
 常日頃、看護師は辞めたいと思っていた。今までの経歴もある。そもそも学生時代に、同じように意識の高い教員から辛く当たられた経験が、ずっと消えない心の傷になっている。その時の恨みも悲しみも辛さも、未だに薄れていないどころか、この転職歴でそれは更に積み重なり、じくじくと血と膿が垂れ流されている傷を心中で抱えながら、そのような目に遭ったことのない人間達を喰ってしまいたい程恨んで、ずるずると生きている。
 きっと、私は元の人間には戻れない。
 人間でもなく、さりとて、怪物にもなれない。
 これ以上道を踏み外さないかという恐怖で、踏み出すことも、立ち止まって耐えることも出来ない。
 私は、これからどうなるのだろう。
 私は、どうして生きていくのがいいのだろう。

 私の人生がこれ程狂ってしまったのは少なからずの不可抗力があったからなのに、ここまで滅多打ちにしておきながら何の保証もない。
 少なくとも学生時代は真面目に励んでいたのだ。だが、その努力こそが、この結果を招いてしまった。

 こんな大人に、なりたいわけではなかったのに。

休職中なので、手慰みに書いてみた。

『人生の姿』

 

 これが、私の人生最期の姿だろうか。
 目は閉じていて、それなのに口は開いている。決してもう話すことは出来ないのに、痰だけは次から次へと湧いてくるようで、定期的に吸引を行わなければならない。しかし、その時はどこからそんな力が温存されていたのかと思うぐらいの力で身を捩り、苦しみ、こちらを拒絶するのだ。
 それは歯磨きでも同様で、口の中に差し入れた歯ブラシを全力で噛み千切り、粉砕せんとする。
 一日の大半……、というか、週に一度の入浴さえなければ、この人は永遠にベッドの上に置き去りにされたままだろう。もちろん褥瘡が出来ないように体位は変えるし、口から物が食べられない分、胃から直接栄養を注入するが、この人自身から何か行動出来るようなことは、今後一切、未来永劫、この肉体に留まる限り、絶対に訪れることはない。
 ベッドサイドの小さな机は、気が付けばうっすらと埃が積もっている。そこに置いてある写真立てに収められている色褪せた写真の中の家族には、私はついぞ会ったことがない。
 拘縮が進んで手足がひっくり返った昆虫のように折りたたまれ、その様は、まるで永遠に羽化することの無い蛹。
 収める棺桶や墓穴がないだけで、それは、充分『墓』だった。

 きっと、将来の私も、こうなるのだ。
 家が貧乏だった。親からは「看護学校以外行かせない」と言われた。要するに、金と直結する進路以外は認めない、ということだ。だったら私なんか産まなきゃ良かったのに。一時の欲望に身を任せてしまうのは人間の悲しい性だ。私は絶対に結婚もしないし子供も産まない。
 看護学校も地獄だった。不器用で、変に真面目で頑固な私の性格が全て裏目に出た。私はとにかく教員には逆らわず、呼吸すら慎重に行うこと覚えた。
 資格を取って働いてからも、それは変わらなかった。要領は悪く、先輩からは目を付けられ、同期にはあっという間に追い抜かれた。
 「間違えたら、ミスをしたら、患者さんが死ぬ」、「看護師として、患者さんに奉仕するのは当然のこと」――、そんなお題目の下、私は時代遅れの軋んだ機械のように、この世界で働いている。

 月給は、夜勤も合わせて二十万円。日割りにすると四捨五入で七千円。ちなみに、この人と同じような患者を日中で十二人受け持つので、一人あたり一日四捨五入で六百円だ。この人も、そしてそんな額の給料を貰う私も、命の値段はこんなにも安い。
 この人はこの値段で私のさして高くもない若い人生を搾取する。
 私はこの値段でこの人のさして高くもない生きながらの死を貪り食う。
 そうして多分、これはぐるぐると循環していく。
 所詮、それだけのレベルの、底辺の命の営みである。

 

「ちょっと!オムツ交換の時間なんだけど!」

 耳障りな年増の声がキンキンと喚き立てる。普段は私を無視したり嫌味を言ったりする癖に、こういう時だけは、都合よく私を頼りたがる。
 どうせ、この人も、私より少しだけ命の値段が高いだけなのに。
 どうせ、この人も、最期はベッドの上で意識もなく天井を見詰め続けるだけの日々を十年ぐらい送ることになる癖に。

「はい!行きます!すみません!」

 0円スマイルとは、よく言ったものである。
 ここにいる人間は、皆平等に安い命だ。

訪問入浴の使い方!

 こんばんは!青海波です!

 

 某有毒看護師アカウントで書く書く詐欺していた訪問入浴について、補足というか、続編を書いていきたいと思います!

 

 この前は概要ばかりで実用性に欠けたので、具体的な運用方法について踏み込んでいきますね☆

 

 

1.単発で複数の職場をローテーション!

 派遣の訪問入浴の働き方は、これに尽きます。

 

 「1日だけの単発派遣を、複数の事業所で入れる」

 

 下手に一つの事業所を固定して仕事に入ってしまうと、勝手に距離を縮められて、余計な仕事を押し付けられてしまいかねません。

 また、その事業所内の人間関係にカウントされてしまったら、それこそ拗れた場合、二度とその職場の派遣にはいけなくなってしまいます。

 単発で複数の職場をローテーションすれば、一応いつまでも「困った時のお手伝いさん」というポジションでいられるのです。

 

2.なるべく日給の職場を!

 これは前の記事にも書きましたが、なるべく時給より日給でお金が支給される職場の方がお得です。

 何故なら、時給だと、利用者のキャンセルなどで勤務時間が減った場合、その分のお金は当然ながら支払われないからです。

 日給ならば、一日に貰える金額があらかじめ決まっているので、そのような場合でもきちんとお金をもらうことが出来ます。

 もちろん、まともな派遣会社ならば残業代も交通費も支払われますので、ご安心ください。

 

3.小規模だと一日に7~8件、大規模だと10件も

 運用方法ではないのですが、これは一つの目安です。

 小規模な訪問入浴の事業所だと、処置が重い方が多いのでだいたい1日に7件、多くても8件回ります。

 反対に、大規模な訪問入浴の事業所だと、処置が軽い方が多いので、1日に10件回ります。

 どちらも良し悪しですね。

 「処置が重い」と言っても、褥瘡の処置、吸引、気切の管理、胃瘻の管理が出来ればだいたいどこでも通用しますから、それを経験されている方ならどこででもOKだと思います!

 

4.事業所変われば手順変わる 

 利用者を入浴させることは変わりませんが、細かいところで事業所ごとに違いがありました。

 具体的には、頭を洗う時の耳の塞ぎ方も、耳を直接抑えるのかタオルで覆うのか、とか、上半身はヘルパーさんが洗うので看護師は下半身から洗うのか、はたまた両側をそれぞれ洗い、上半身から下半身に移っていくのか……。

 戸惑ってしまうこととは思いますが、いちいち覚えなくてもサポートしてもらえるので大丈夫です。

 私達の仕事はあくまでバイタルサイン測定をしっかり行うことなので、それだけ確実に出来ればOKです!

 余談ですが、事業所ごとに浴槽も違います。ところによっては、頭を洗う部分に体重をかけると、簡単に壊れてしまう構造のものもありますので、ご注意を。

 

5.清潔管理は自分で行う

 病棟に勤めている方には信じられないかもしれませんが、訪問入浴の入浴介助は、基本素手で行います。(免疫系疾患などの利用者にはゴム手袋で行っていたケースもあります)

 ディスポ手袋、なんてものは、吸引や褥瘡などの処置以外、基本的に使わせてもらえません。なんやかんや、コストがあるからでしょうね……。

 なので、清潔管理は自分で行いましょう。

 だいたいの場合、容体が安定していて、家で生活出来る方が多いので、傷や褥瘡が無ければそのまま触れても大丈夫な方が多いですが、褥瘡の部分を洗う時などは、自前のディスポ手袋を持って行くか、それが無ければ介助する前によく手を洗ったり、アルコールタオルで自分の手を拭くようにしてください。

 私は携帯用のアルコール消毒液を常に持っていましたね……。

 

6.お昼はだいたい車内

 移動車なので、お昼はだいたい車内で摂ることが多いです。

 たまにお店に連れて行ってくれる事業所もありますが、その他はコンビニに車を止めて休憩を取ることが多いので、コンビニ飯が好きじゃなければ、お弁当を持って行くのがいいと思います。

 

7.慣れないうちは、一日ごとに休みを入れてもOK

 単発での派遣をおススメするのには、1のような理由だけではありません。

 病棟よりは楽だとは思いますが、やはり、訪問入浴、それなりに体力を使います。

 一日ぶっ通しで車に乗るのも疲れますし、なんやかんや、利用者の身体介助もするのでそれでも疲れます。

 しかし、単発派遣だと、自分で自由に働く日を決められるので、自分の体力に合ったシフトの組み方をするのも簡単です。

 日給15000円だとすると、十日間働くだけでも15万円もらえますので、それなりに糊口をしのぐことは出来るのではないかと思います。

 なので、無理せず、シフトを組んでください。

 

 

 とりあえず、今回の記事はここで終了です♪

 また何か質問とかがありましたら取り上げようと思いますので、ぜひぜひご要望お待ちしておりますね!