海のまにまに

社会人三年目看護師の青海波の備忘録。転職3回、辞めたい、やる気ない看護師のための生存戦略について書きます。ついったー→@M3TrEpFEYj8F0ac

休職中なので、手慰みに書いてみた。

『人生の姿』

 

 これが、私の人生最期の姿だろうか。
 目は閉じていて、それなのに口は開いている。決してもう話すことは出来ないのに、痰だけは次から次へと湧いてくるようで、定期的に吸引を行わなければならない。しかし、その時はどこからそんな力が温存されていたのかと思うぐらいの力で身を捩り、苦しみ、こちらを拒絶するのだ。
 それは歯磨きでも同様で、口の中に差し入れた歯ブラシを全力で噛み千切り、粉砕せんとする。
 一日の大半……、というか、週に一度の入浴さえなければ、この人は永遠にベッドの上に置き去りにされたままだろう。もちろん褥瘡が出来ないように体位は変えるし、口から物が食べられない分、胃から直接栄養を注入するが、この人自身から何か行動出来るようなことは、今後一切、未来永劫、この肉体に留まる限り、絶対に訪れることはない。
 ベッドサイドの小さな机は、気が付けばうっすらと埃が積もっている。そこに置いてある写真立てに収められている色褪せた写真の中の家族には、私はついぞ会ったことがない。
 拘縮が進んで手足がひっくり返った昆虫のように折りたたまれ、その様は、まるで永遠に羽化することの無い蛹。
 収める棺桶や墓穴がないだけで、それは、充分『墓』だった。

 きっと、将来の私も、こうなるのだ。
 家が貧乏だった。親からは「看護学校以外行かせない」と言われた。要するに、金と直結する進路以外は認めない、ということだ。だったら私なんか産まなきゃ良かったのに。一時の欲望に身を任せてしまうのは人間の悲しい性だ。私は絶対に結婚もしないし子供も産まない。
 看護学校も地獄だった。不器用で、変に真面目で頑固な私の性格が全て裏目に出た。私はとにかく教員には逆らわず、呼吸すら慎重に行うこと覚えた。
 資格を取って働いてからも、それは変わらなかった。要領は悪く、先輩からは目を付けられ、同期にはあっという間に追い抜かれた。
 「間違えたら、ミスをしたら、患者さんが死ぬ」、「看護師として、患者さんに奉仕するのは当然のこと」――、そんなお題目の下、私は時代遅れの軋んだ機械のように、この世界で働いている。

 月給は、夜勤も合わせて二十万円。日割りにすると四捨五入で七千円。ちなみに、この人と同じような患者を日中で十二人受け持つので、一人あたり一日四捨五入で六百円だ。この人も、そしてそんな額の給料を貰う私も、命の値段はこんなにも安い。
 この人はこの値段で私のさして高くもない若い人生を搾取する。
 私はこの値段でこの人のさして高くもない生きながらの死を貪り食う。
 そうして多分、これはぐるぐると循環していく。
 所詮、それだけのレベルの、底辺の命の営みである。

 

「ちょっと!オムツ交換の時間なんだけど!」

 耳障りな年増の声がキンキンと喚き立てる。普段は私を無視したり嫌味を言ったりする癖に、こういう時だけは、都合よく私を頼りたがる。
 どうせ、この人も、私より少しだけ命の値段が高いだけなのに。
 どうせ、この人も、最期はベッドの上で意識もなく天井を見詰め続けるだけの日々を十年ぐらい送ることになる癖に。

「はい!行きます!すみません!」

 0円スマイルとは、よく言ったものである。
 ここにいる人間は、皆平等に安い命だ。