海のまにまに

社会人三年目看護師の青海波の備忘録。転職3回、辞めたい、やる気ない看護師のための生存戦略について書きます。ついったー→@M3TrEpFEYj8F0ac

休職中の手慰み 将来のこと

「白髪」

 

 白髪が、見つかった。
 恐らく、私の人生で、最初の白髪である。
 黒々とした髪の中で、どの角度から見ても黒に惑わされない白が一筋、どんな脅威にも憚ることなくそこに陣取っている。

 真っ先に思い出したのは、かの有名な、『太宰治』の『人間失格』。
 主人公は凄絶な物語の末に、齢二十七にして四十前後に見間違えられてしまう程白髪が多くなり、老け込んでしまう。……、ちょうど、今の私と同じくらいの年頃である。
 なるほど、彼程ではないが、今の私も充分『人間失格』だ。何しろ、新卒から仕事が一年続かず、やっと辿り着いて、様々な人に守られ導かれながらようやっと二年続いたこの職場でさえ、たかが部署移動をしたたために半年で精神を病んで、今また休職してしまっているのだから。
 ここに来るまで、心身ともに随分草臥れてしまった。もしかしたら、この後の私の人生も、『人間失格』の主人公のように、田舎の廃屋でお手伝いの婆やと療養するような、余生じみたものになるのかもしれない、という恐怖もある。
 看護師なのだから、保健師なのだから、転職先はいくらでもあるだろう……、と言われることも多いが、果たして自分を今の状態まで追い込んだこの職業を、これから先もずっと続けて行けるのだろうか。そもそも、学生時代から、心療内科や精神科のお世話にこそならなかったものの、今でも当時の看護教員の指導がトラウマとなっており、それを多かれ少なかれ引き摺りながらずっと仕事をしてきた。これ以上の精神力や気力は、もう既に私の中には残っていない。
 かといって、看護師や保健師以外の仕事はどうか。今時事務職に就くにしても、パソコンでのスキルやビジネスマナー、一般常識は必須なのだが、悲しいかな、看護師や保健師に、そのようなものは元々備わっていない。何故なら、学校では一般社会での作法など習わないからだ。
 おまけに、このコロナ禍である。新卒の子達ですら、内定が取り消されている状況。
 はっきり言おう。詰んだ。詰んでいる。

 

 私には夢がある。将来は、小説家やシナリオライターなど、とにかく物語で人を魅了し、希望を与え、活躍出来る仕事に就きたかった。だが、そのような職業で食べて行ける人は一握りだ。そこで、食いっぱぐれないように、看護師と保健師の資格を取った。
 しかし、最近は、「もしかしたら、その夢を叶えるのは無理なのではないか?」と思ってきてしまっている。
 コロナ禍だから、とか、経験がないから、とか、物理的なことだけではない。
 希望が持てないのだ。人間に対して。自分に対して。

 今の小説やアニメ、漫画の流行としては、自分が最強であることに無自覚な主人公が、無自覚なままに色々なことを成し遂げ、仲間達からも好かれ、敵を懲らしめ、大団円で終わる傾向が多い(独断と偏見ではあるが)。
 それでなくても、主人公と仲間達が苦難を乗り越え、最後はハッピーエンドで終わる話が大多数に好まれるのがこの世の常、というものだ(あくまで個人の独断と偏見)。
 もちろん、私もそんな物語が好きだった。読むのも、書くのも、大好きだった。
 しかし、最近は、そんな物語が書けなくなってきた。想像出来なくなってきた。信じられなくなってきた。
 学生時代は、教師からのアカハラがあったものの、まだ自分の好きな物語が書けていた。
 だが、様々な辛苦を味わってきてしまったお陰で、今まで大好きだった物語が急に色褪せ、陳腐化して、「そんな都合のいいことが起こるわけないだろう」と冷笑する気持ちすら湧いてきてしまった。
 もちろん、現実とフィクションの違いくらいはとっくのとうに付いている。この世界は魔法ではなく科学の世界だし、超能力者や宇宙人、未来人、はたまた魔法少女が一般人に混ざって生活していることなど有り得ないし、仮に今ここで死んだとしても、別の世界で勇者や悪役令嬢に転生出来るかどうかは、神のみぞ知る、というところだ。
 それでも、フィクションの世界に宿る、人間の善性とか、主人公の熱い想いとか、仲間と共に同じ方向を目指して懸命に力を尽くして手繰り寄せたハッピーエンドなんかは、この世に存在したら面白いだろうと思っていたし、ちょっとくらいは有り得て欲しいと願っていた。
 何も持っていなくても、真面目でひたむきに、誠実に生きていれば、多少不器用で要領が悪くても、そう悪いことにはならない。基本的に、人に悪いことをしなければ、人から悪いことを返されることはない。善いことをすれば、善いことが返ってくる。ーー、少なくとも、私が今まで読んできた物語は、そんな風に希望を持たせてくれた(もちろん、そうではない物語もあるけれど)。
 しかし、現実は、このザマである。
 自慢にもならないが、私は学生時代までは、世間からのレールにもなんとか外れず、そこそこ真面目に生きてきていた。勉強も親を心配させるような成績は取ったことがないし、友人関係も手広くはなかったが、上手く楽しくやっていたつもりだ(もちろん、友人達も同じ気持ちでいてくれたのかどうかは知らないが)。
 それが今や、休職を繰り返し、家族の厄介になっているのだから、希望などあったものではない。

 ただでさえ、不安定で暗いこのご時世、希望のない物語など求められていないことは、痛い程わかっている。誰だって少しでも明るい気持ちになりたい。娯楽が欲しい。辛いことが多いけれど、なんとか前向きな気持ちで生きていきたい。……、そう考えて物語を読むはずだ。
 だけど、今の私は、人々に対して、明るく希望をもたらす物語など、書けそうにない。
 私の痛みをわかって欲しい。私の声を聞いて欲しい。どうか、黙殺しないで欲しい。
 私は、私をここまで追い込んだ全てが憎い。学生時代から、今時古い奉仕精神と自己犠牲を強要してくる看護師業界。「患者さんの為に」と錦の御旗を掲げ、平気で新人を追い込む意識の高い看護師達。それに漬け込んで、平気で罵声を浴びせ、暴力を振るい、奴隷のように看護師を扱う患者達。あるいは、それらのことをしても、謝罪だけしておけば大事にはならないとタカを括っている患者の家族達。意識もないのにただ栄養材だけで生かされている高齢患者達。認知症で人間の常識が通用しなくなってしまった患者達。人手の少ない現場。それを諦め、許容する風潮。
 口では「医療従事者達に感謝を」とのたまいながらも、「あんなに汚くて大変な仕事、私達には絶対に出来ない」と顔を背け、自分達には無関係の話だと足早に離れていく、無資格の一般人達。
 何も、これはコロナが流行り出したからこうなった訳ではない。全て、コロナが流行る前からの、よくある光景である。

 

 私は、この感情を、綺麗に消化して解体し、他の人々にも受け入れられやすい物語にして練り上げ、昇華する術を、未だに持っていない。
 せいぜい、今は、黒々とした若い力を使い切ってしまった一本の白髪に、こうして想いを寄せるまでである。