海のまにまに

社会人三年目看護師の青海波の備忘録。転職3回、辞めたい、やる気ない看護師のための生存戦略について書きます。ついったー→@M3TrEpFEYj8F0ac

休職中の手慰み

「休職中」

 

 平日の真昼間。
 用事の前に、時間がかなり空いてしまった。
 バスの時間をもう一本遅らせても全然間に合ったのに、これは完全なる失態である。この時間さえあれば、家を掃除してから出ることだって出来た。
 現在休職している自分は、家庭内での立場が低いことは重々承知している。家族は気遣って今まで通り接してはくれているが、母親などは「今までこんなに時間が空いたことはなかったのだから」と、積極的に部屋の片付けを勧めてきたり、何か新しいことを始めてみたりしてはと勧めてきたり、とにかく私に何かをさせることに余念が無い。
 それはそうだろう。この、心の傷を癒すには短く、さりとてそれだけで過ごすには長過ぎる時間を、本当の本当にただ何もせずに過ごすだけでは、どうにもならない問題を更に鬱々と考えてしまい、ますます落ち込むだけなのは、自分でも目に見えている。
 今日もその一環で、とにかく看護師以外のことをしてみてはどうかと、母親に勧められ、自分でも以前からやらなければならぬと考えて、とりあえず体験入学だけでも……、と、パソコン教室の扉を叩くことにしたのである。
 そう息巻いて家を出て、バスを乗り継いで駅まで辿り着いたのは良かったのだが……、と、ここで冒頭の問題に戻る。
 時間が、空き過ぎた。空き過ぎてしまっている。一時間近く空いている。
 午前中の早い時間だ。まだどこの商業施設も空いていない。せめてものウィンドウショッピングで目を楽しませる訳にもいかず、開店前の店の入口でうだうだとその時を待ち構えている訳にもいかず――、何故ならガラの悪そうなお兄さんやお姉さん達が既に屯していたからである――、結局、どうせなら日頃仕事で見向きもしなかった、再開発の進む我が最寄り駅周辺を、ぶらぶらと見て回ってやろうと思い付いたのである。
 駅から離れ、歩いて行くと、様々な人達とすれ違う。スーツ姿の男性やらオフィスカジュアルな女性やら……、朝のこの時間帯だ。ちょうど会社に向かう人達も、当然ながら多い。
 私はそれを半ば他人事のように眺めていた。もしかしたら、死んで、四十九日現世をさ迷っている幽霊なんかは、こんな気持ちになるのだろうか。こんなやるせない想いを四十九日も持て余して現世をさ迷うぐらいなら、さっさと成仏してしまいたい。ともかく、皆私などお構い無しに流れて行き、私はあてどもなくふらふらと、ただ時間潰しの為だけに足の向くままに漂っていく。
 私も、つい十日前ぐらいは、この人波の中に混ざって、職場に行って、働いていたのだ。その時は、もう辞めたい、辞めてやる、働くのはたくさんだ、一回仕事から離れたい、休みたい――、などと、呪いのように思い詰めていたが、いざその身分になると、かえってそこで踏みとどまれなかった情けなさと、今の身分のどうしようもなさに、訳もなく立ち止まって蹲って耳を塞いで大声で叫びたくなってしまう。
 私だって、望んでこうなった訳では無い。私だって、皆と同じように、仕事をして、お金を貰って、人生のひととき、きちんと世間様に敷かれたまともなレールの上に乗れている安心感を得たい。何よりお金が欲しい。これは大事なことなので二回言う。
 どうして私ばかりこんな目に遭っているのだろう。犯罪を犯したわけではない。小学生の頃に家出を繰り返したことはある。だが、それはクラスで虐めに遭っていたからで、私にも非はあったのかもしれないが、とにかく割合としては九対一ぐらいで暴力を振るってきた向こうの方が圧倒的に悪い。
 今までの職場もそうである。確かに私も悪かったのかもしれない。鈍臭くて要領悪くて優柔不断で不器用で打たれ弱くて――、でも、そのレベルは、ここまで生きていくことに難儀する程だっただろうか。
 それに、そう何年も何年も積み重ねてきた仕事ではない。どれも半年や一年足らず、最短では三ヶ月の職場だった。新卒からその調子である。
 今の職場は二年続いている。この経歴からしてみればかなり頑張って続けているように見えるが、自分としてはその実感はない。なぜなら、温かく優しくサポートしてくれる先輩方に出会えたからだ。朝出勤したら普通に挨拶をしてくれて、普通に話をしてくれた。どんなに些細でつまらないことを質問しても、世間話のついでのように気楽に教えてくれた。私がどんなことをやらかしても、ダメなところは冷静に指摘してくれて、それ以上そのことを引き摺って嫌味を言われることはなかった。だからこそ、新卒の頃から他の職場の人間に怯えながら働いてきた私でも、のびのびと明るく働くことが出来ていたのである。
 しかし、今年の四月、そんな春のような部署から、突然異動になってしまったのだ。
 鈍臭くて要領悪くて優柔不断で不器用で打たれ弱い私だったが、この二年で、優しい先輩方に恵まれて、少しは成長出来ていたつもりだった。実際に、「あの部署は、今のメンバーだったら大丈夫」と優しい先輩方の一人から太鼓判を押されたから、私はすっかり安心していた。
 その結果が、このザマである。
 異動して半年で休職。原因は一人のベテランである。過去にも他の職員をいびり倒して辞めさせた経歴のある人物だ。
 いったい、こんなことを何度繰り返せばいいのだろう。
 せっかく仕事だって毎日順調に繰り返し、積み重ねていたのに、たった一人、自分に辛く厳しく理不尽に当たってくる人間がいるだけで、精神的にここまで追い詰められてしまう。
 新卒の職場も、その次の職場も、その次の職場もそうだった。いつもいつも誰かしら私に対して辛く当たってくる人が居て、そのせいでメンタルが潰されてしまう。他の人は「あなたは頑張っている」「あなたばかり辛く当たられていて、見ていて可哀想になる」と声を掛けてくれる人もいるので、私が常軌を逸する程の鈍臭さと要領の悪さと優柔不断さと不器用さと打たれ弱さを発露している訳ではないのだろう。ないと信じたい。そうだとしたら、そもそもあの二年間でとっくのとうにクビになっている。
 それでも、毎回毎回一定の周期でやってくるこれは、何なのだろうか。
 私は、『看護師』という自分の仕事に誇りなど持っていない。いくら国家資格と言えど、人が忌避することを扱う仕事だ。その癖、仕事内容の割に給料は高くはないし、高尚な精神性ばかり求められる。私にとって、この仕事は、ただの生活の糧でしかない。
 しかし、だからこそ、いつもいつも、この仕事を尊んでいる意識の高い同業者に目を付けられてしまうのではないだろうか。
 彼女達は私の心中を鋭く見抜き、仕事に対する意識が自分と同じ高い水準でないと許すことが出来ず、私のそれを無理矢理引き上げようと、四苦八苦しているのではないか。
 彼女達をそうさせてしまっているのは私のその意識であり、私のその思考回路故の行動及び言動であり、結局は、全て私が悪いのではないだろうか。
 ……、世の中の人達は、果たして、自分の仕事にそこまでの高い意識を持って、生活しているのだろうか。
 私が今眺めている往来の人々は――、しっかりとしたスーツを着て、髪を綺麗に結い上げて、早足で歩き去っていく――、そこまでの高い意識を持って、皆生活しているのだろうか。
 皆、仕事に向かう凛とした表情の下で、そこまでのことを考えて、日々生活をしているのだろうか。
 そう考えると、私はこの世の中、この先とても生きていける気がしない。

 パソコン教室の無料体験教室が終わった。
 その場で申し込むかどうか迷って、結局、「詳しいスケジュールをまた確認する」と言って保留にしてしまった。どうせ、休職中で、予定などないのに。
 これから先、どうなるかわからない、という不安が常にある。
 職場には、既に前の部署に異動することを希望してある。しかし、上司が言うには、「あなたを異動させる為には、今いる人達の誰かを異動させないといけないから難しい」とのことだ。このような形でお世話になった先輩方にご迷惑をおかけしてしまうのは、本当に本当に申し訳ない。
 それを聞いた母親は、「何であんたを虐めた方には何のペナルティも無いんだ!もし何も動きがないのなら、そんなところは先がないから辞めていいからね!」と烈火の如く怒っていた。
 心療内科の次の受診は、凡そ二週間後である。その時まで、私を取り巻く環境が動くのか。動かないとすれば、どうすればいいのか。
 常日頃、看護師は辞めたいと思っていた。今までの経歴もある。そもそも学生時代に、同じように意識の高い教員から辛く当たられた経験が、ずっと消えない心の傷になっている。その時の恨みも悲しみも辛さも、未だに薄れていないどころか、この転職歴でそれは更に積み重なり、じくじくと血と膿が垂れ流されている傷を心中で抱えながら、そのような目に遭ったことのない人間達を喰ってしまいたい程恨んで、ずるずると生きている。
 きっと、私は元の人間には戻れない。
 人間でもなく、さりとて、怪物にもなれない。
 これ以上道を踏み外さないかという恐怖で、踏み出すことも、立ち止まって耐えることも出来ない。
 私は、これからどうなるのだろう。
 私は、どうして生きていくのがいいのだろう。

 私の人生がこれ程狂ってしまったのは少なからずの不可抗力があったからなのに、ここまで滅多打ちにしておきながら何の保証もない。
 少なくとも学生時代は真面目に励んでいたのだ。だが、その努力こそが、この結果を招いてしまった。

 こんな大人に、なりたいわけではなかったのに。