寝たきり高齢者は植物の夢を見るか
かつて、青海波は療養型病棟に勤めていました。
その前は忙しい急性期病棟で身も心も疲弊していましたから、療養型病棟であれば、ゆっくり患者も看れますし、技術も身に付けることが出来ると、本気で考えていたんです。
何より、私は老年の実習で、嫌な想いをしたことはありませんでした。
脳卒中後の患者のリハビリに付き合って、その経過を見ているのも、他愛のない話をするのも、嫌ではなかったのです。
でも、実習と現実は違いました。
患者と看護師の比率が13対1の療養型病棟は、ほとんど寝たきりで、何も話せず、ただそこに横たわっているだけの方々ばかりでした。
そうですね、ただそんな方々の在り方を、『美しい』と言って、愛でることが出来たらどんなに良かったでしょう。
私にそんな思考回路はありませんでした。
胃瘻や経鼻チューブから栄養を流し、臀部は水が溜まるかと思う程の重度の褥瘡で、手足は折れる程に細くて、植物の世話に例えるなら、私はまさにただ水を与え、傷んだ葉を取り除き、主要な枝を保護する、そんなことをしていましたけれど。
私は、その方々のことを、『愛すべき植物』だなんて、思えませんでした。
それどころか、『羽化しない蛹』だと思いました。
寝返りも自分で打てず、糞尿を垂れ流し、他人に下の世話をしてもらい、意識も無く、話すことも、声を発することも出来ず、もちろん痰すらも自分で吐き出せず。
酷い方は、四肢全て拘縮しており、無理矢理動かそうとすると骨折する危険もある。
これが元々『植物』であれば、あるいは『羽化しない蛹』であれば、私はただ素直に愛でることが出来たのかもしれません。
でも、出来ませんでした。
その方々は、まぎれもなく『人間』だったからです。
一人一人に、確かに人間としての歴史がありました。
家族が頻繁に見舞いに来ている方もいました。
あるいは、何年も誰も見舞いに来ない方もいました。
それでも確かに、『人間』としての歴史の集大成が、いつでもそこに横たわっていたのです。
それは紛れもなく、『自分が数十年後、辿るかもしれない未来』でした。
『自分が数十年後、辿るかもしれない未来』が、
『寝返りも自分で打てず、
糞尿を垂れ流し、
他人に下の世話をしてもらい、
意識も無く、話すことも、声を発することも出来ず、
もちろん痰すらも自分で吐き出せず。
酷い方は、四肢全て拘縮しており、
無理矢理動かそうとすると骨折する危険もある。』
……そういう存在である、と。
私はまだ二十代です。
まだまだ夢を見ていたかった。
最後まで自分の意志で生きたいと、そんな甘い夢を見ていたかった。
だけど、毎日毎日、『自分の末路かもしれない存在』を直視して、働いていました。
まだ遠いけれど、確実に在るかもしれない『将来』を、常に感じながら働いていました。
確かに、病棟は人手不足でした。
体力のない私は疲労困憊でした。
最終的には、精神を病んで辞めました。
私には、終末期医療は向いていなかったのでしょう。
だけど、今でも、あの方々を、『愛でよう』などという気には、どうしてもなれないのです。
あの方々の姿を『植物』や『蛹』などと、言いたくはないのです。