海のまにまに

社会人三年目看護師の青海波の備忘録。転職3回、辞めたい、やる気ない看護師のための生存戦略について書きます。ついったー→@M3TrEpFEYj8F0ac

寝たきり高齢者は植物の夢を見るか

 

 かつて、青海波は療養型病棟に勤めていました。

 

 その前は忙しい急性期病棟で身も心も疲弊していましたから、療養型病棟であれば、ゆっくり患者も看れますし、技術も身に付けることが出来ると、本気で考えていたんです。

 何より、私は老年の実習で、嫌な想いをしたことはありませんでした。

 脳卒中後の患者のリハビリに付き合って、その経過を見ているのも、他愛のない話をするのも、嫌ではなかったのです。

 

 でも、実習と現実は違いました。

 

 患者と看護師の比率が13対1の療養型病棟は、ほとんど寝たきりで、何も話せず、ただそこに横たわっているだけの方々ばかりでした。

 

 そうですね、ただそんな方々の在り方を、『美しい』と言って、愛でることが出来たらどんなに良かったでしょう。

 

 私にそんな思考回路はありませんでした。

 

 胃瘻や経鼻チューブから栄養を流し、臀部は水が溜まるかと思う程の重度の褥瘡で、手足は折れる程に細くて、植物の世話に例えるなら、私はまさにただ水を与え、傷んだ葉を取り除き、主要な枝を保護する、そんなことをしていましたけれど。

 

 私は、その方々のことを、『愛すべき植物』だなんて、思えませんでした。

 

 それどころか、『羽化しない蛹』だと思いました。

 

 寝返りも自分で打てず、糞尿を垂れ流し、他人に下の世話をしてもらい、意識も無く、話すことも、声を発することも出来ず、もちろん痰すらも自分で吐き出せず。

 酷い方は、四肢全て拘縮しており、無理矢理動かそうとすると骨折する危険もある。

 

 これが元々『植物』であれば、あるいは『羽化しない蛹』であれば、私はただ素直に愛でることが出来たのかもしれません。

 

 でも、出来ませんでした。

 その方々は、まぎれもなく『人間』だったからです。

 

 一人一人に、確かに人間としての歴史がありました。

 家族が頻繁に見舞いに来ている方もいました。

 あるいは、何年も誰も見舞いに来ない方もいました。

 

 それでも確かに、『人間』としての歴史の集大成が、いつでもそこに横たわっていたのです。

 

 それは紛れもなく、『自分が数十年後、辿るかもしれない未来』でした。

 

 『自分が数十年後、辿るかもしれない未来』が、

 

『寝返りも自分で打てず、

 糞尿を垂れ流し、

 他人に下の世話をしてもらい、

 意識も無く、話すことも、声を発することも出来ず、

 もちろん痰すらも自分で吐き出せず。
 酷い方は、四肢全て拘縮しており、

 無理矢理動かそうとすると骨折する危険もある。』
 

 ……そういう存在である、と。

 

 私はまだ二十代です。

 まだまだ夢を見ていたかった。

 最後まで自分の意志で生きたいと、そんな甘い夢を見ていたかった。 

 

 だけど、毎日毎日、『自分の末路かもしれない存在』を直視して、働いていました。

 

 まだ遠いけれど、確実に在るかもしれない『将来』を、常に感じながら働いていました。

 

 確かに、病棟は人手不足でした。

 体力のない私は疲労困憊でした。

 最終的には、精神を病んで辞めました。

 

 私には、終末期医療は向いていなかったのでしょう。

 

 だけど、今でも、あの方々を、『愛でよう』などという気には、どうしてもなれないのです。

 

 あの方々の姿を『植物』や『蛹』などと、言いたくはないのです。