大口病院の連続中毒死事件について
こんばんは、青海波です。
今回は、大口病院の連続中毒死事件の犯人が捕まったニュースを聞いて、自分なりに思ったことを書いていきたいと思います。
まず。
自分なりにホームページ見たりしましたけど、あの病院って(予想通りというか)療養型病院だったんですよね。
その時点でお察しだと思います。
犯人の元看護師の動機が確か「死亡退院時の遺族への説明が面倒」とか少し流れていましたけど、凄く納得してしまいました。
かく言う青海波は、死亡退院時にあまり携わったことはありません。
そのレベルになる前に、私はもう限界だったからです。
療養型病院に勤めた当初は、頑張ろうと思っていました。
新卒で勤務した病院では上手く行かなかったので、心機一転、基本的な看護技術を学んで、とりあえず色々なところで働ける看護師になろうと張り切っていました。
だけど、すぐに心が折れました。
状態が安定しているからって、いきなり8人受け持たされ、しかも軒並み全介助。
意思疎通も出来ず、四肢も拘縮し、体位交換したらお小水を漏らし、ただそこに横たわって目を開けて、時折奇声を発しているだけの人達。
それでも、吸引をしなければならず、透析をしなければならず、褥瘡のケアをしなければならず、服薬をしなければならず、オムツ交換も更衣も胃瘻も点滴もしなければならない人達。
どんなに人手がいなくても、どんなに受け持ち患者が多くても、きっちりきっかり毎日一人一人に全ての処置を実施しなければならず、どれも怠ってはいけない。
しかも、その上、熱を出したり胃管を抜去したりしたら、それなりの対応をしなければならない。
私は、だんだん自分の感情が崩壊していくのを感じました。
そうなってしまった患者達だって、意思疎通が出来て、自分で立って歩けて、働いたり、遊んだりして、家族が居たり、友人が居たり、それぞれ積み上げて来た人生があった筈なんです。
だけど、『今』、自分の目の前にいる患者は、意思疎通も出来ず、奇声を発して、排せつ物を垂れ流し、それでも胃瘻や点滴で生き長らえている、回復する見込みもない、ただ死を待つだけの高齢者。
次第に、『高齢者』とも思えなくなりました。
不思議なもので、意思疎通が出来ず、全介助の高齢者でも、『快』『不快』を感じることは出来るんです。
吸引をすると苦しがります。
褥瘡のケアを嫌がります。
歯磨きも、噛みついてきます。
誰かの手を借りないと自分の身の回りのことすらままならず、そもそも思考力さえ落ちているのに、完全にこちらの思い通りになる訳でもないのです。
最早、私はそんな患者達のことを、完全に『敵』と見なしていました。
心の底から嫌悪したのです。
本当に憎んでいました。今も、その感情は消えていません。
それは、自分が自分でなくなるような、真っ黒になるような心地でした。
多分、一生忘れないでしょう。
「何で大学まで出て、実習だって出来ないなりに頑張って、看護師と保健師の資格だって取ったのに、二十代前半の貴重な時間を、後は死ぬだけの高齢者達の世話に捧げなきゃいけないの?」
と、本気で思っていました。
「何で、何も出来ない、胃瘻で命を繋げているだけの、後は死ぬだけの人達に、真面目に心臓マッサージしないといけなくて、真面目に発熱の時に氷枕持って行かなきゃいけないの?」
とも思っていました。
当時のその病院は、師長が変わったこともあり、今まで勤めていた人がゴッソリ退職していったという状況もありました。
年間休日がとても少なく、夜勤の後も連続して夜勤が入っていたり、一人休んでしまうと、受け持ち患者の人数が15人以上になる、人手が少なく、ブラックな労働環境でした。
今にして思えば、労働環境のせいなのです。
寝たきりの高齢者達のせいではないのです。
もし寝たきりの高齢者達を看るとなっても、余裕のある人員で、休みも十分取れて、業務量だって自分のレベルと高齢者一人一人の状態に合った量だったら、ここまで心が荒むことはなかったでしょう。
また、少なくとも、大学時代にあれほど習った、『QOLの向上』や『健康寿命の延伸』『リヴィング・ウィル』が生かされているような状況であれば、少しは納得することが出来たでしょう。
だけど、本当に、療養型病院で働いていた時の私は、惨めで惨めで仕方ありませんでした。
自分が『看護師』だと名乗るのがとても恥ずかしかった。
大学まで出て看護師と保健師免許を取ったのに、実際には、自分の心身を擦り減らしてまで、もうすぐ死ぬ筈の人達の世話をしているなんて、本当に惨めでした。
治る見込みもない、どうにもならない、ただ死ぬのを待っているような人達の世話を、休みも給料も少ない状態やっているなんて、まるで都合よく使われている奴隷のような気分でした。
自分の身体や心が守れていなければ、それを害する人間に対して、怒りや憎しみの矛先が向かうのは当たり前のことです。
そして、私は、その矛先を患者に向けたのでした。
私は、寝たきり患者のことを、「人間の成れの果て」、酷い時には「家畜、いや、それは家畜に失礼かw」ぐらいには思っていました。
新卒で働いていた病院にいた時や、学生の時でさえ、患者のことをそんな風に思ったことはなかったのに。
そんな中で、私に限界が来ました。
人工呼吸器・胃瘻・点滴・透析ありで、全介助の患者が危篤状態に陥った時、、家族からの要望があるからというだけで、ドクターコールを鳴らし、病院総出でCPRを行っていた場面を見た瞬間に、
「私はここまで技術を磨きたくないし、覚えたくもない」
「仕事が出来れば出来るだけ、責任ばかり押し付けられる」
「もう後は死ぬだけの人に対して、これ以上何もしたくない」
「看護師なんてもう嫌だ。少なくとも、もう病院には勤めたくない」
「でも、こんな経験も技術もない人間に、病院以外の就職先なんてあるの?」
「死にたい。あぁ、死にたい。看護師になんてなったばっかりに、お先真っ暗だ」
という感情が一気に押し寄せてきたため、その日のうちに、心療内科に行きました。
……、まぁ、正直、こんな経緯があるため、私なんて、看護師の風上にも置けない存在だと思います。
なので、今はどちらかというと『看護屋』という意識でやっています(笑)
というのは置いておいて。
まだコメントもあまり出て来てないから推測でしかないのですが、大口病院の元看護師の犯人も、きっと、こんな感じの、「患者を患者と認識できない」精神状態だったのかなと推測します。
『殺人をした』という意識も薄くて、『死期を早めた』という感覚なのではないかな…と。
「どうせほっといても死ぬんだし、寝たきりで何もできない人達なんだから、自分の仕事が増えないうちにサクッと片づけてしまおう」
という、異常な心理状態の中での、ある意味軽い気持ちだったのかなと。
だから、通り一遍の謝罪の言葉は述べても、心から反省なんてしないでしょう。
だって、あの状態のままだったら、きっと私が犯人と同じことをしていましたから。
彼女は、私の身代わりになったようなものだとも思います。
擁護はしませんけどね。自分が壊れていくのはわかっていたでしょうし、それに対する恐怖だって普通なら感じていた筈ですし、そこにきちんと向き合いもせず、ただストレス発散的にダラダラその行為を続けていただけなんですから。
今、このブログを読んでくださっている方の中には、ここにあるのと似たような気持ちになっている方もいらっしゃると思います。
だけど、自分からは踏み出せずに、このページを読んでいるんだと思います。
私は経験も少ないけれど、それでもなんとか食いつないで、なんとかやっているんだということを、お伝えしたいです。
ここまで自分の気持ちを崩壊させなくても、看護師という資格を使って、生きていける術はあるんです。
今、辞めたい、苦しい想いをしている看護師の皆さま。
経験年数が少なく、転職先があるのかと不安になっている看護師の皆さま。
大丈夫です。
大した志なんてなくても、病院じゃなくても、正社員じゃなくても、この資格を存分利用して、食いつないでいくことは出来ます。
だから、どうか、自分を追い詰めないでください。
もっと楽に自由に生きましょう。